機長です。
京都出張の間は自転車に乗って移動していました。
清水寺からビュンビュン坂を下ってホテルまで戻る途中。ものすごいオーラを感じる建物を見つけました。
入り口には「島津製作所 創業記念資料館」の文字。あの面白いCMをやっている会社の発祥の地だったのです。
一歩踏み入れた瞬間、オーラの正体が分かりました。
創業が機長の大好きな時代(夢にあふれています)であることと、今までこの時代についてモニャモニャしていた謎が一気に解き明かされました。
この資料館では、ここが島津製作所の創業の地であると同時に日本の近代科学はここから始まったということが分かります。
まず最初の展示室では、創業者である初代、二代の島津源蔵の焦りとパワーを感じます。1Fのフロアーで目をひいたのは「科学思想啓発のため軽気球を揚げる(1877年)」です。
これは、機長がロケットを打ち上げようと密かに計画していることに重なります。打ち上げること自体が目的ではないのですが、あることを伝えるためのシンボリックな発想が同じなのです。機長のよく読む本は幕末から明治にかけて。謎の1つであった社名と島津藩の関係も解明できました。
2階にあがると、そこは衝撃の世界でした。 機長は理科が大好きだったので、小学校の理科室にある色々な実験の道具や模型の御世話になりました。その原点がここにあったのです。
しかも現在のものと変わりません!すでにこの時代に島津製作所により完成していたのです。 しかも、驚くことに様々な言語の洋書を解析して制作されたり、新たな工夫や発明を加え全国の学校に届けられたこれらの道具は、我々の諸先輩の学習を助けたことでしょう。おそらく洋書の翻訳が一日かけても数行程度しか進まないこともあったでしょう。近代国家を作り上げようという使命感が湧き出ています。
機長の今回の最大の収穫は二代目 島津源蔵訓語です。
もう何も語ることはありません。仕事においても私生活においても心得ておかなければいけない究極の導きを得た思いです。
写真を撮ることは出来ませんので、必死で書き写しましたがネットで公開されていました。大変ありがたいことに思います。
その他、最先端の医療機器から分析器まで展示内容は全国の子供に見せなければいけないというものばかり。あのノーベル賞を受賞した田中耕一さんも島津製作所の社員でした。このような精神は国の宝だと思います。今の時代だからこそ、この強烈な精神を思い出すときだと考えながら自転車をこいで高瀬川沿いを通って帰りました。
島津創業記念資料館
京都市中京区木屋町二条南
午前9時30分〜午後5時
(入館は4時30分まで)
詳しくは直接ご確認ください
ここは子供が科学に目覚める転換点になる場所です
(機長)



